isako's blog

日々の自身の日記から、医療・看護の情報、地域の活動と情報を発信しています。
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終戦から80年 父や母から聞いた戦争体験
 1945年(昭和20年)8月15日、正午からラジオで放送された「玉音放送」により、日本の降伏が国民に公表された日。この日が「終戦記念日」とされています。そして、1945年(昭和20年)9月2日は、日本政府が、ポツダム宣言(日本への降伏要求の最終宣言)の履行等を定めた「降伏文書(休戦協定)」に調停した日です。
 1952年(昭和27年)、4月28日、日本国と平和条約(サンフランシスコ平和条例)の発効により、国際法上、連合国各国(ソビエト連邦などの東側諸国を除く)と日本の戦争状態の終結日です。



 戦争の話は、昭和3年生まれの父や昭和7年生まれの母からよく聞いていました。父は当時「特攻隊」に所属していたようですが、出動前に終戦となり生きて戦地から戻って来られたようです。
 母は家族と大阪から石川県に疎開していたようで、食べるものがなく毎日「芋のつる」などを食べていたと話していました。5人兄弟で一番下の弟(6人目)は、生まれた時お乳がなく、栄養失調で亡くなったと話をしていました。
 疎開先の石川県自体被害は少なかったようですが、長女だった母は、家族のために何里もある遠いところに水を汲みに行った際にオオカミに出会ったことなど繰り返し話していました。
 父からも満州に行った話などよく聞いていました。特攻隊に志願した理由について、父は、「血気盛んで若かったからと思う」と言っていたのを思い出しました。多くの若い命が失われて行った…としみじみと戦争体験を話していました。
 戦後80年となり、戦争を体験した人も減り、戦争の悲惨さを伝える人も少なくなりました。
| isako | テレビ・新聞等の情報 | 22:22 | - | - |


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