isako's blog

日々の自身の日記から、医療・看護の情報、地域の活動と情報を発信しています。
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「潮江(しおえ)」の名前の由来は 地名の「塩」と「江」
 今回、理事研修旅行に参加したメンバーは、潮江社会福祉連絡協議会の常任理事と理事の人たちです。
 潮江社会福祉連絡協議会〈潮江連協)には、13福祉協会が加入し、各福祉協会に、会長、副会長、会計(理事)、書記等の役割があり、常任理事とは各会長と連協顧問、書記を言います。
 私が住む「潮江」は、JR尼崎駅北側の地域を示し、尼崎市中心部のやや東に位置します。ここで、「潮江」の歴史をお話しします。
 Web版尼崎地域史事典の一部を抜粋しますと、海岸地帯に堤防を築いてつくられた猪名荘には、海に関連する地名が多く、同絵図にも条里の坪地名として、塩垂田、大塩田、上塩田、上江田、下江田、入江田、細江田が記されており、この「塩」と「江」の地名が由来とされています。
 史料上の初見は、1250年(建長2)「九条道家処分状」で潮江荘とあり、戦国時代にはしばしば戦乱となりました。
 1889年(明治22)以降は、小田村、1936年(昭和11)以降は、尼崎市の大字となり、1874年(明治7)には、村域の南に沿って官設鉄道が敷設され、南に隣接する長洲村地内には神崎ステーション(現尼崎駅)が開設、西に福知山線が通過しており、これらに囲まれた西部には、1981年(大正7)設立のキリンビール神崎工場をはじめ積水化学、日本スピンドル製造などの立地する工場地帯となっています。
 その後、住居表示により「潮江」となったほか、一部が久々知西町、浜、次屋、下坂部となりました。



 1996年に、尼崎市がキリンビール尼崎工場の跡地を利用した「あまがさき緑遊新都心」基本構想を策定。建設が計画されていた「COCOE(現、キューズモール)」が2009年にオープン。その後、次々に高層マンションが建設され、現在に至っています。
 潮江社会福祉連絡協議会は、いつの時代から活動をしていたかは定かではありませんが、「あまがさき緑遊新都心」開発において、早期に「潮江まちづくり協議会」を立ち上げ、尽力するとともに、自治活動の中心的役割を担っています。
| isako | 潮江社会福祉連絡協議会 | 22:37 | - | - |


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