isako's blog

日々の自身の日記から、医療・看護の情報、地域の活動と情報を発信しています。
医療現場での様々な問題や、地域で取り組んでいる多彩な行事などをご紹介します。
ご意見ご感想は「熊谷衣佐子のホームページ」のメールアドレスから返信して下さい。
  << September 2025 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
9日救急の日が命日 父のお墓参りに
 9月9日は父の命日です。平成13年(2001年)に亡くなったので24年の月日が流れたことになります。ポート増設目的で当時私が勤めていた病院で入院中に亡くなりました。
 あの日… 私が勤務をしていたお昼過ぎに心電図モニターの異変に気付き訪室したのを覚えています。病気が発覚して半年の短い期間でした。9月9日は「救急の日」で、忘れない日を選んだように思えました。
 午前7時にお参りに行きそのまま仕事に行きました。JR伊丹駅の近くの「墨染寺」で車で30分もかからないので便利で行きやすいお寺です。
 父が闘病した季節は夏でとても暑かったので墓石にお水をたくさんかけて来ました。

| isako | 私の時間・ボランティア・テニス | 21:47 | - | - |
3年ぶり皆既月食 夕方には大きな満月
 今日の午前3時頃、日本全国で皆既月食が見られました。大阪でも皆既月食が見られたようですが私は熟睡しておりました…。
 月食とは、太陽・地球・月が一直線に並んだときに起こる天体現象で、数年に一度しか見られません。
 一部分が地球の影に隠される現象を部分月食、月全体がすっぽりと地球の影に覆われる状態を皆既月食と呼ぶようです。完全に影に覆われた月は真っ黒になるのではなく、赤っぽく見えます。これは地球の大気を通過した太陽光が関係しています。太陽光は大気中で散乱を受けますが、青っぽい光は散乱されやすく、赤っぽい光は散乱されにくい性質があるようです。(ネット検索から抜粋)
 では「散乱」とはどういう現象か…?散乱とは、光が大気中の分子に当たった散らばってまっすぐ進めなくなる現象のことで、夕焼けや朝焼けが赤く見えるのと同じ原理です。こうした月は神秘的な赤銅色に染まり「ブラッドムーン」とも呼ばれます。
 夕方帰宅時、大きな満月を見ました。とても大きくすこし赤みがかったようにも見えました。月ってあんなに大きかったかな〜と…しばらくうっとり見とれていました。

| isako | テレビ・新聞等の情報 | 21:50 | - | - |
神社総代会 来月の秋祭りについて
 潮江素盞嗚神社総代が開催され総代20名が参加しました。総代会は3か月ごとの行い、主に行事について会議が行われます。今日は、来月予定されている秋祭りについてでした。10月11日(土)と12日(日)にお神輿が巡行されます。全部で7基のお神輿が巡行する予定です。
 次回の総代会は12月で早くも年末・年始の(初詣等)の行事になります。あまがさきキューズモールで忍たま乱太郎の映画が上映されており、全国から忍たまファンが参拝に来られています。7月の忍たまファンの集いには、昨年(100人)を上回る200人がお越しになり楽しい時間を過ごされました。
 一時は授与品は品切れになるなどご不便をおかけいたしましたが、やっと注文していた授与品もそろいました。総代、協力員がボランティアで対応しています。活気ある神社で喜ばしいことです。

| isako | 潮江素盞嗚神社 | 21:58 | - | - |
悠仁さま 成年式に臨まれる 40年ぶり
 秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまの成年式が本日行われ、成年になった証しとして天皇陛下から授けられた冠をつける「加冠(かかん)の儀」が皇居・宮殿で執り行われました。



 ネットで生中継していた儀式を見ていました。成年式の始まりは聖武天皇の元服と言われ、天皇陛下から授かった成年の冠を付け、まるで平安絵巻から飛び出してきたようでした。
 成年式は、皇室に生まれた男子が対象の儀式で、秋篠宮さま以来40年ぶり。「加冠の儀」は宮殿・春秋の間で執り行われ、秋篠宮ご夫妻らが見守る中、古式ゆかしい装束に身を包んだ悠仁さまの頭上に成年用の冠がかぶせられました。
 さらに、天皇陛下から国内最高位の勲章である「大勲位菊花大綬章」を授与され、宮殿での一連の儀式・行事を終えられ、悠仁さまは成年皇族の仲間入りをしました。
| isako | テレビ・新聞等の情報 | 22:17 | - | - |
看護報告書、看護計画、運営推進会議書類作り
 月初めの看護報告書等を作っていました。それぞれご利用者さんの先月1カ月のご利用日、経過、バイタル等を記載して、指示書を頂いているかかりつけ医に郵送します。看護計画は先月分の評価をして、一部かかりつけ医に郵送し同じ内容のものをご家族に説明し同意を頂きます。当施設は介護度が4.2と高く、要介護3〜5の方がほとんどです。そして胃ろう、バルんカテーテル、インシュリン注射など、医療を必要とする人の割合も50%と高いです。
 その業界も人手不足の中、頑張っていますが、30代〜40代の若い送迎(運転)ができる介護士の応募がありません。他の高齢者施設のデイサービスの送迎を見ても高齢のドライバーが多いようです。



 さて、昨日から台風の影響がでて、時折ザーッと雨が降りましたが、線状降水帯が発生するなどの被害なく通り過ぎたようです。風の影響がほとんどない、珍しい台風でした。
| isako | 仕事・医療・看護・健康に関すること | 22:35 | - | - |
ラケットショップへ行く途中 ミャクミャクに
 午前10時予約でJR茨木駅近くのMODO K'sに行き髪カットとカラーリング、炭酸シャンプーをしてもらいました。スッキリ!炭酸シャンプーは刺激的でとっても気持ちよかったです。
 約1時間で終わり帰りに大阪駅下車で大阪駅前第一ビルにあるウインザーラケットショップに行きました。ソックスが欲しかったのとテニスウエアの秋の新作と夏用のバーゲンと同時の目的で行きました。
 プリンスの半袖ウエアは夏バーゲンでスコートは秋新作を購入し、お気に入りのプリンスソックスは1足1100円のところ2足で1足770円になるのでまとめて4足(白、ピンク、黒、グレー)購入しました。
 あとは、グリップテープ(赤、オレンジ、淡いピンク)も同時に購入。色々と思った買い物ができました。テニス用品は高いですから…。
 JR大阪駅から阪神百貨店の横を通り、ディアモール大阪の方向へ進み「D−49」の階段を上がると大阪駅前第一ビルにたどり着きます。その途中「ミャクミャク」に会いました。道行く人はその前で写真を撮っていました。色が鮮やかなのでよく目立ちます(笑)

| isako | 私の時間・ボランティア・テニス | 22:15 | - | - |
太陽にほえろ!「山さん」死去 蘇るシーン
 1972年〜1986年まで放送された「太陽にほえろ!」で“山さん”こと山村刑事役で人気を集めた俳優露口茂さんが4月28日死去されました。93歳でした。  
 放送当時、私は中学生〜高校生で、幼なじみと共に「山さん」のファンでした。昨日、テニスで、「山さん亡くなったね」と当時のことを友人に話すと懐かしそうでした。物静かでクールな一面が好きでした。「太陽にほえろ」は、出演していた刑事役が次々に殉職していくシーンが印象的でした。



〜ドラマ「太陽にほえろ」に出演した主な俳優さんは以下〜
〇石原裕次郎 藤堂俊介(ボス)
〇露口茂 山村精一(山さん) 殉職
〇下川辰平 野崎太郎(長さん)
〇石塚誠 竜雷太(ゴリさん)殉職
〇内田伸子 関根恵子(シンコ)
〇島公之 小野寺昭(殿下)交通事故死
〇早見淳 萩原健一(マカロニ)通り魔に刺され死亡
〇柴田純 松田優作(ジーパン)殉職
〇三上順 勝野洋(テキサス) 殉職
〇田口良 宮内淳(ボン)殉職
〇滝隆一 沖雅也(スコッチ)病死
〇岩城創 木之元亮(ロッキー)殉職
〇五代潤 山下真司(スニーカー)
〇西條昭 神田正輝(ドッグ)
〇竹本淳二 渡辺徹(ラガー)殉職
〇原昌之 三田村邦彦(ジプシー)
〇春日部一 世良公則(ボギー)殉職
〇井川利三 地井武男(トシさん)以降、6人が赴任していますが、いずれも亡くなることなく健在だったようです。
 露口茂さんは、1932年生まれで、2021年(89歳)の頃、奥様と二人暮らしだったようで、娘さんがお一人おられ海外に住まれているとの情報です。お孫さんもおられるとか…。
 「太陽にほえろ」は、1972年〜14年間出演されていました。2013年頃から事実上引退されゴルフなどを楽しまれていたようです。
| isako | テレビ・新聞等の情報 | 21:11 | - | - |
2施設合同 自衛消防訓練実施
 当施設の1階は看護小規模多機能型居宅介護、2階、3階は介護付き有料老人ホームになっています。午後2時〜2施設が合同で自衛消防訓練を行いました。
 看護小規模多機能型居宅介護は夜勤をする介護福祉士2名が参加、介護付き有料老人ホームは、今回初めてインドネシアのスタッフ3名が参加しました。
 消防への通報は介護福祉士が行い、消火器を使っての初期消火はインドネシアのスタッフが行いました。火がでたら、まず初期消火です。初めて使う消火器でしたがうまく使えていました。

| isako | 仕事・医療・看護・健康に関すること | 21:32 | - | - |
今日から9月も残暑厳しく 6月から続く猛暑日
 8月が終わり今日から9月ですね…。今日のテニスも暑かった〜今年の夏は猛暑日の連日で6月から最高気温が35度以上の猛暑日を観測した地域が相次ぎ、東京都心では年間の猛暑日日数から過去最多となるなど記録的な暑さです。
 過去100年間を見ますと、100年前の東京の熱帯夜は「0日」。日中の気温が高くても、夜間は25度を下回っていました。寝苦しい夜は年々増えており、今年は8月26日時点で41日、9月下旬まで熱帯夜が続く年もあり、暑さを感じる時間が長くなっているようです。〇熱帯夜1925年「0日」⇒2025年「41日」。
 1990年代から最高気温が40度を超えている年が増え、今年は8月5日に41.8度を記録した群馬県伊勢崎市をはじめ、各地で41度を超え過去の最高気温を更新。この100年間で昼も夜も暑い日が続いています。



 さて、今日は「防災の日」です。災害(南海トラフ巨大地震)に備えて、〇家具の固定 〇防災グッズの点検 〇非常食の確保 〇日用品の点検 などしておきましょう。
| isako | テレビ・新聞等の情報 | 22:24 | - | - |


 SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
LINKS
PROFILE
OTHERS